
「だって、もうわたしと一緒にいるんだもの。おばかさん。離れようったって離さない」
何かあらすじを書いておきたいなと思ったんですが、この小説はぜひネタバレなしで読んで欲しいです。
ハリーポッターとかの学校もの…ぐらいの知識ならいいかも。
さて、引用したのは、主人公キャシーの友達であるルースが、ボーイフレンドのトミーへと向けた言葉です。
これだけ見るとおちゃらけたバカップルのセリフのように思えます。
が、読後、トミーとキャシーへの行動を考えるとどんな気持ちだったんだろう、と考えて切なくなりました。
以下、完全ネタバレなので未読の方はご注意を。
割と序盤で明らかになるのですが、主人公が暮らしていた学校「ヘールシャム」は、臓器移植のためのクローン人間を養成する学校でした。
最初からその設定を詳かにするというよりは、生活の中にうまく溶け込ませているので、読者は途中で気付きます。「提供」という文字が不穏にちらつくのが巧いな、と思いました。
結論を言えば、「ヘールシャム」はクローン人間に人道的な教育を行う施設です。「使命」という体で、彼女たちは大人になれば一つ一つ、臓器を提供していきます。何回すれば免除、というわけではなく、結局は死ぬまで提供していくのが彼らの役割です。
私は、「介護人」という存在が、この小説の設定でとても重要なのではないかなと思いました。
「介護人」は、基本的に「提供者」になるために、みな体験します。
「提供者」のマネジメントを行い、病院などとの交渉も引き受けます。
一見するとただの世話人のようですが、別の意図があるのではないか、と考えました。
例えば、「ヘールシャム」などの学校であれば、監督官がいるため、
でも卒業してしまえば、クローンである彼らの行動を逐一監視することはできません。(もしかしたらICチップが埋め込まれている、などの設定があるのかもしれませんが)
それならば、クローン同士で世話と監視ができる制度を作ればいいのでは
と考えました。
つまり、下記の目的があるのではないでしょうか?
- 逃げられる術はないことを叩き込む
- 同じ境遇の「提供者」を見捨てることはできないので、ある意味の相互監視になる
- 例え「介護人」が出奔しても、捕まえてすぐに「提供者」にしてしまえば「処分」は簡単
- 交流をクローン人間同士で抑えるため
- 孤独・過酷な労働環境から離れて、「提供人」になることを自ら望むように仕向ける
学生時代、アウシュビッツについて勉強していたときに、「ゾンダーコマンド(Sonderkommando)」という囚人部隊を知りました。彼らは、収容されていたユダヤ人から結成されていた組織で、ドイツ軍から強要されていました。彼らは、ドイツ軍によって虐殺されたユダヤ人同胞の死体処理をさせられていました。彼らは他の囚人よりも待遇が良かったようですが、過酷な労働をさせられていました。
死体処理という機密を知っていた「ゾンダーコマンド」たちは、情報漏洩を防ぐために、定期的に「入れ替え」られていたようです。
一方、『わたしを離さないで』の子供達は、大人に成長して「提供人」として、いつ選ばれるかわかりません。「介護人」として優秀であったキャシーは31歳になってもまだ「介護人」を努めていました。
「介護人」と「ゾンダーコマンド」、共通点があるように思えます。
反抗的な意思を芽生えさせないこと、誰もがやりたがらない仕事を担うこと、犠牲になった同胞の「死」に関わること……。
考え始めるとキリがありませんが、なるほど、「介護人」という制度は、労働力も臓器提供も社会批判からスケープゴートとしても効率的なシステムだったのではないかなと思いました。
アウシュヴィッツには、「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という標語が掲げられていました。一方で、トミーやルース、キャシーは、愛し合った二人の証明として、提供への猶予がもらえるという噂を信じます。「展示館」に展示されるような優れた作品を生み出せば、その後押しになるのではないのか、と。
マダムに会いに行ったキャシーとトミーは、「どこかに抜け道があるのではないか」「努力すればなんとかなる」という希望さえも打ち砕かれます。野原でのトミーの叫びは、痛々しいほどでした。
ふと、最近見たツイートを思い出しました。
人間の心が折れるというか冷める時って、「悔しい」「悲しい」ときじゃない。悔しい時はまだ頑張れる。本当に心を繋ぎ止めていた糸が切れるのは「こんなに頑張って、ばかみたい」と思うときなんだよね。最近、みんなの緊張の糸が切れてるのはそういう気持ちなのかなと思う…
— りょかち (@ryokachii) July 31, 2021
他の方の感想を探すときに、「わたしを離さないで なぜ逃げない」という検索結果がサジェストされました。それを許さなかった社会構造についても、もっと考えてみたいです。
この記事では、カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』をご紹介します。